女性経験の少なさが人生経験の少なさを表している現状(前編)

2018年6月19日思春期病

初めていらっしゃった方はまずこちらの記事をお読みください。ブログの理念です。
自由になりましょう

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思春期の価値観

私が高校生~大学生の頃は男はどれだけ女と遊ぶかで自分の充実度が決まるところがありました。

価値観が今ほど多様じゃないから、自分の幸福度を測る指標があまり無かったんですね。

今の若い人とはあまり話さないからわからないけど、今はそこまで行動的にならなくても他に楽しく過ごせる方法はいくらでもありますよね。

でもその当時は自分から動いて何かを手に入れないと何も無いような時代でした。

だからこそ、私は躍起になって自分を磨き、ナンパなどにもチャレンジしました。

中学から男子校育ちだったから、そうでもしないと女子と知り合う機会が無かったんですね。

ここから話が重くなります

ここまで読んで何だこのチャラいブログはと思った方、ちょっと待ってください。

ここからが本題です。

問題は、このように情熱を燃やしてもなぜか上手くいかず、挫折感を味わってしまったことです。

原因は私の自意識過剰による緊張ですが、これには過干渉で私を貶める毒母が絡んでいます。

 

毒母は私を外の世界へ飛び立たないよう呪いをかけていました。

そもそも、思春期に入ってからの私の自己評価は「世界一ダサくて終わっている男」でした。

世間からかけ離れた感覚の家で育った私は無神経で、美的感覚が無く、モラルも無く、ユーモアのセンスも無く、見かけもダサく、中学ではいわゆるオタクグループ所属でした。

でも毒親家庭の価値観に基づいて自分は素晴らしく、世間は下らないもので、自分の方が優位に立っているとも無意識に思っていました。

こういうのは自己愛性人格障害に近いと思います。

ただ一点、それとは異なるのは私が容姿に関しては客観性を有していたことでした。

自分がダサいということは認めて努力をしたのです。

その結果、自分に自信を持てるようになり、周りからも認められました。

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恐る恐る自由を獲得しようとする行為だった

そこで彼女をつくろうと行動したのですが、まず話が続きませんでした。

私は究極のコミュ障だということがそのときわかりました。

でもそれはいいんです。自分が何とかしていくべき部分だとはわかっていたので。

問題はこんなことをしていていいのかと落ち着かない気分になり、汗までかくことでした。

もちろん緊張はしていますが、単なる緊張ではありません。

そこにあるのは母に罰されるという恐怖心です。

そう、私にとって彼女をつくることは母を裏切って自由になろうとする行為でした。

当時は母に対して何の気持ちも抱いていなかったのですが、今振り返るとわかります。

毒親の歪んだ愛に縛られた私は苦しくも母の方を向かされ、外に逃げられないようにされていました。

もし逃げようものなら生かしてはおかんぞ、というような恐怖感がありました。

私が思春期に恋愛に関して母から吹き込まれていた言葉はこうです。

「あんたアホなねーちゃんと付き合ったりすんなよ」

「付き合う人は私がいいと認めた人だけです」

「変なことして子供つくったりしないでよ」(なぜか話が飛躍)

「恋愛は大人になってからでいいです」

なぜか恋愛に関しては禁止事項しか言われないのです。

これではまるで「自由になれると思うなよ」と言われているみたいでした。

それだけに、余計に反発してその自由になろうとする行為に走りました。

しかし、毒母からのプレッシャーには勝てませんでした。

最初の取っ掛かりの女子と知り合うところまでは上手くいっても、段々自分がしてはいけないようなことをしているような気分になっていき、全然楽しめませんでした。

相手からも挙動不審になっていく私を見て嫌がられました。

重要なのは決して私があがり症ということではなく、毒親のコントロールが正確に行き届いていたからこうなったのだということです。

しかし、当時の私は自分に能力が無いのだと段々自信を無くしていきました。

後編に続きます。