女性経験の少なさが人生経験の少なさを表している現状(後編)

2018年6月19日思春期病

 

前編はこちらです。

初めていらっしゃった方はまずこちらの記事をお読みください。ブログの理念です。
自由になりましょう

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遊びではなかった

彼女をつくるために人一倍努力した私。

私にとってその努力は毒親支配から自由になるための試みでした。

だけど不可抗力に近い毒親コントロールによって自らチャンスを棒にふってきました。

高校生としてするべきことを殆ど放棄してまで力を入れたのに、人並みの成果が得られなかったこと。

この事実はどう繕おうが私の心に突き刺さることとなりました。

結局のところ主体的に行動できていないから、常に迷いが伴うわけです。

上っ面だけ整えたところで心年齢が5歳で止まっていて、自己肯定感の低いコミュ障にはしっかりした行動などできるはずもありませんでした。

それに加えて心の中で母が私を呼び寄せる声がするのです。

それを振り切っていく罪悪感に耐えられようもありませんでした。

転落を食い止められない

このようにして私は挫折しました。

更に悪いことには私は挫折したことを認めようとせず、行動を見直そうとしませんでした。

プライドだけは山のように高かったのです。

その結果、女性と話すだけで動悸がして、汗が止まらないようになりました。

それは更に悪化し、同性とも話すことが苦痛になってきました。

段々自我を支えられなくなってきたのです。

その後は空白どころか、無いほうが良かった数年間を過ごしました。

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一事が万事

私はこれまでの人生において、女性との関係についてはかなりの後悔があります。

何のために生きてきたのかという思いがします。

女性経験については拘りが強いので意識にありますが、でも実は自覚していないだけで他のことについても同様だったと思います。

私の行動は自分の素直な欲求に基づかず、何か歪んだ動機が絡んでいることが多いのです。

結果段々と失速していき、自然消滅していくのです。

この自分でも何がしたいのかわからない感覚で生きていることが、自分の人間としての輪郭を小さくしているのだと思います。

素直な欲求に基づいて小さな頃は日が暮れるまで遊んで、友達と色んなところに行ったり、料理や親の手伝いに挑戦したり、毎日が冒険のような日々を過ごすこと。

思春期は勉強だけでなく部活や身のまわりの世界にも興味を持って自然に伸び伸びと過ごすこと。

こういった普通の日常が無い人間は最終的に何も残るものがなく年をとることになります。

それが人生経験が少ないということです。

後に残った感想としては自分らしく生きられなかったということになります。

私はこの事実を認めてこれからは人生経験を積んでいきたいと思います。

心年齢という概念

今の私は30代半ばですが、心年齢が5才で止まっていたのが動き始めて15年くらいたちます。

実年齢はともかく、この理論でいくと今の私は二十歳くらいということになるでしょう。

実際、ちょうど二十歳くらいの感覚で生きていると思います。

馬鹿馬鹿しいかも知れませんが、私は本気でこの心年齢を信じています。

自らの意思で生きることと向き合い始めてから心が変わってきた。

現在はこの心の言うことを聞いて、素直な気持ちで育てていくようにして生きています。