毒親からはコミュニケーションや生きる意味は学べなかった

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毒親

人付き合いに悩んだ思春期

思えば、思いやる気持ちや子供らしさに欠けた幼少期でした。

思春期には若々しさがありませんでした。

興味を抱く対象もゲームや賭け事など、一人で遊ぶものばかり。

 

特にスポーツに対しては嫌悪感まで持っていました。

爽やかにチームプレイで汗を流すのが自分と真逆だった。

まだ柔道、剣道、体操など一人で行うスポーツはマシでした。

サッカー、バスケなどは他人と協力ができず、重要な場面では体が固まり動けませんでした。

 

他人が何を求めているか、考えれば考えるほどわからなくなっていく。

これはコミュニケーション全般がそうで、会話もどんなことを話せばよいかわからず、ぎこちない人付き合いがほとんどでした。

 

中学生の始め頃には「人と何を話すか」をノートに書き溜めていました。

同級生と二人きりになったときに沈黙が続くのを私なりに気にして、解決しようとしたのです。

このノートを一度同級生に見られたときは、恥ずかしくて消えてしまいたくなりました。

性格の問題?

私は思春期までは、どうして他人と上手く接することができないのだろうと深く悩みました。

アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の存在を知った時は、自分はあてはまるのではないかと思いました。

 

しかし、根本的なところが違う気がする。

というのは、自分でも原因は何か実はわかっているのではないかと感じていたのです。

 

それはこうです。

原因は、他人に配慮をするよりも、自分の事情を優先していること。

他人の心を推察して声をかけるより、自分の心の世界に居たい。

スポーツにおいては自分の振る舞い方にばかり気が行ってしまって、体が動かない。

それが結果的に本当に自分の利益になるかというとそうはならないですが、瞬間瞬間が自分のことしか考えることができない人だったのです。

本当は何がしたいのかがわからない

ある時期は真剣に悩んで、他人の心がわかるよう(わかった気)になりました。

それで、人付き合いがスムーズに進むようになり、周囲からの評価も変わりましたが、私は依然自分のことを気にする気持ちでいっぱいでした。

 

他人にばかり配慮していたら自分がおろそかになるという思いから、その後はまた自分のことしか考えられない人間に戻りました。

結局、スムーズな人付き合いがしたいのかというと、そうではなかったのかもしれません。

本当は何がしたかったのかがわかりませんでした。

体を動かす、人と話すなど、行動が発現する以前の段階でぐちゃぐちゃ考えるせいで、何をしたいのかがわからなくなっていく。

結果、とんちんかんな結果へと導かれていく。

大人になってから、「君は何がしたいの?」などと言われるようになったのは、この問題を解決していなかったからだと思います。

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勇気を出して振り返り、受け入れること

しかし、そのことを私の性格が原因ということで済ませる前に、見過ごせないことが一つあります。

それは、私から見た母のイメージがこういう世界観であることです。

 

母は外では主婦友達と雄弁に話していましたが、家の中では口数が少なく、黙っていることが多かったのが記憶に残っています。

その黙っている時が、その顔どういう顔なの?と言いたくなるような何ともいえない顔をしていて、不安になったのを覚えています。

何か、人生で人に言えないような大きなことで悩んでいるように見えました。

そしてその顔の意味を想像したりして、非言語コミュニケーションで母の世界観を学習してしまいました。

 

我が家の雰囲気が変であるということは、思春期頃から気付いていました。

しかし、その頃は私にとって母は太陽のような偉大な存在だったので母を否定することなく過ごしていました。

母と自分の関連を考えることになるのはもっと後のことになります。

 

母は、言う言葉は文字に起こすと大したものではありませんが、背後の雰囲気や前後のつながりや、継続して言うことを含めて考えると大変な圧迫感を生んでいます。

そのことがやはり私に大きな影響を及ぼしているのは間違いないと思います。

 

それに気付いた私は、過去を振り返ることを始めました。

しかし、一見平和だった家庭を振り返り、否定することには苦痛を伴います。

思い出を汚している気持ちにさえなることがあります。

ですが、自分の苦しみの原因は何かを探るには、過去の事実をそのまま見つめる必要があり、やり遂げることができるかが非常に大事なところだと思っています。

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