毒親を糾弾することに罪悪感を感じる必要はない

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一人の人間として意思を尊重されなかった

このブログを始めてから色々と毒親に関することを書いてきましたが、育ててくれた親のことを悪く言うなんて、自分は性格が悪いのではないか、親じゃなくて、自分の考えがおかしいのではないかと思うことがあります。

事実とは言え、包み隠さずにいきさつと自分の意思を書いているわけですから、後から読み直すと我ながら何だか冷徹な雰囲気にも見えます。

でも、いいんです。

本当は親にこのブログに書いていることを言って聞かせたい。

だけど、話し出すと最初の所で話を打ち切られる。真実を話すと怒り出す。

メールで送ると、読んだといいつつ、内容を理解していない。

 

毒親は自分が否定されるということが我慢ならないのでしょうね。

自分の化けの皮が剥がされそうになったら、本性を見せて威嚇してきます。

「親に向かって何だその口の利き方は!」とは何と便利な言葉でしょうか。

 

同居していた子供時代から、「お父さん、まあ聞いてください」「お母さん頼むからこれだけは聞いてください!」と、生き方や考え方の話でこういう風に真剣に切り出すと、もう最初の時点で「はあ?何を?」と聞く耳を持ちませんでした。

内容を問わず子供の言い分を認めるということ自体が嫌なのでしょう。

親と私のどちらが正しいか、の以前に、門前払いを食らっている感じです。

私の真剣な話を聞いてすらもらえなかったのは今でも悔しいです。

通じ合えないのは悲しいことですが、従順な子供以外は子供と認めないのならば、仕方のないことだと今では諦めています。

私は私でおかしいことは自覚している

私の妻は普通の感覚を持った人ですが、私の親の感覚がおかしいことに早い段階から気付いていたようです。

もう10年くらい前の話です。

結婚する頃の私はまだ親を疑うことを知らず、「私と両親VS妻」の3対1の構図を作ってしまっていました。

この時点で妻側からすれば結婚は破談モノだと思いますが、妻はよく私を許してくれたものだと思います。

 

当時のことを思い出すと、振る舞いを見れば、親より誰より私が一番酷い人間だったと思います。

私と妻はその当時はずっとケンカをしていました。

ケンカと言うと、お互いに原因があるように聞こえますが、その実態は私が気に入らないことを一方的に相手にぶつけているだけでした。

その気に入らないことというのは、仕事をしたくないとか、態度が気に入らないとか、私の自由を制限するなとかいう身勝手なものです。

私は家の中で叫び、ここでは書けないような暴言を吐き続け、暴れて外に出ました。

恐怖を覚えた妻はチェーンロックをかけ、私は中に入れなくなりました。

 

私はそれを、「ただの口ゲンカなのに妻から追い出されて行くところがない。こんなの許されると思う?何とかして!」と母に事実を歪めて伝え、力を借りようとしました。

すると母は、ろくに事情も聞かずに妻の母の職場の電話番号を調べ上げ電話をしたり、妻の祖母の家にも電話をしたりしました。

そして事情を伏せた上で、「おたくの娘さんはどうなっているんですか。どうにかしろ。謝罪させろ。」というようなことを言ったそうです。

いい恥さらしです。

 

妻はそれを知って、

「そんなことをするとお義母さんが後で恥ずかしい思いをするだけですよ。夫婦のケンカなので二人で解決するので放っておいてください。」

と電話でなだめたそうですが、聞く耳を持たず、母は

「私を馬鹿にしてんのか。結婚して○○の名字になったんだろ。○○の名前になったのなら私の言うことを聞くのが普通だろ」

と言ったそうです。

そして妻に攻撃が効かなかった母は私に、

「妻の実家に直訴しに行きなさい」

と電話で言いました。

私はさすがにそこまでするともう取り返しがつかなくなると思い、よそに泊まることにしました。

一通り自己反省をした結果見えてきた真実

この通り、身勝手な理由で暴れ、嘘をつき、親の力を借りて自分に有利な状況を作ろうとした私には大きな罪があります。

既に成人していた私がこんな行動をしたのは当然私の責任です。

もうこんなことは繰り返してはいけない。

 

そう思うと、私の無茶苦茶な行動に喜んで手を貸そうとした親の姿が見えてきます。

一体親は何を考えていたのか。何も考えていないようにも思えます。

ただ、自分の家が妻の家に負けるという思いから動いているのではないかと思います。

勝ちとか負けとか言うなら、非常識な立ち振る舞いを相手の家に晒すことのほうが余程私の親にとって不利になると思うのですが、そういうことではないのです。

簡潔に言ってしまうなら、相手を支配下に入れることが毒親にとっての勝ちです。

上か下か、それだけの価値観です。

そして私は見事にその色に染まっていました。

思春期の頃は多感で、親のようになりたくないと思っていた私も、知らず知らずの内に親のようになっていました。

子は親に似るとは見事真実を言い当てた言葉だと思います。

 

しかし、私はもうその流れに乗っていきたくない!私には親がとても幸せそうには見えない。

普通の人のほうが魅力的に見える。

やはり、私は親のようにはなりたくない。

 

となれば、直接言う機会がなくとも親に対する見方ははっきりさせておき、自分はそれとは区別した生活をしていくしかありません。

親あっての子というのは確かですが、その親の考え方は私を育てるにはあまりに不適切なものでした。

成人するまで衣食住を確保してくれたことには感謝し、良い思い出はそのままにしながらも、今後私が生きていくためにマイナスになる考え方に対しては批判的な姿勢を崩さずにいこうと思います。

【追記】まだまだこの頃は毒親に対して甘い見方をしていたようです。糾弾をする姿勢はあるものの罪悪感に囚われている状態でした。しかし、自分らしく生きようとするのならそのようなためらいこそ命取りになると今では思います。
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