毒親問題でコミュ障の自分にできること

スポンサーリンク
毒親

人と話ができない

私は面と向かって自分の考えを人に伝えることが苦手です。

自分の気持ちをこめてずっと話しているうちに自分の気持ちが折れてきて、相手から自分の考えを否定されるのではないかと怖くて仕方がなくなってきます。

ですので、簡潔には済ませられない話はメールや、手紙にして一気に相手に伝えるようにしています。

この性格は、私の本音を親が聞いてくれなかったことが関係しているのではないかと思います。

人との根本的な信頼感がないから、極度の緊張をするのです。

話しているうちに苦痛で顔は歪み、脈拍は上がり、早口になります。

そして、突然頭が真っ白になり、何を言いたいかわからなくなります。

論理的に話をすることが求められる大人になってからは、このことでずいぶん苦労しました。

話しているうちにその場に居ることが耐えられなくなり、挙動不審になることが自分でもとても嫌でした。

心の中の母にダメ出しされる

小学生の時までは雄弁で頭もよく回転していたのに、なぜ大人になって退化していったのだろうと悩みました。

それは、一人の人間として生きていける育て方をされなかったことに問題があるのだと思います。

親に代わって幸せを獲得してくる代理人だったときは親のために能力を駆使しました。

自分のためではないので、気兼ねなく力を発揮できました。

しかし、自分のために能力を生かすことは許されませんでした。

自分の主張をしようとすると、心からダメ出しの声が聞こえてくるのです。

そう、それは母の声です。

「お前の話など誰も聞いてくれないよ。お前は私のことだけ考えていれば他に何もしなくていいんだよ。変に張り切っちゃうと失敗するよ。お前は能力がないんだから。ほら相手の人は不満そうな顔をしてるじゃないか。」

その声が聞こえてくると心が縮こまり、急に不安になり、何もできなくなります。

こうして、年をとればとるほどコミュ障に拍車がかかっていったのです。

立ち上がるとき

このブログも始めてまだ日が浅いですが、だいぶんたくさんの文章が書き溜まってきました。

私の密かな夢は、母にこのブログを読ませることです。

私のことですから、面と向かって理路整然と説明することは難しいと思われます。

いざ話しても、内容が内容だけに途中で打ち切られて反論されるかもしれない。

そうでなくても、途中で自分が混乱してしまって、ぐだぐだなまま話をまとめてしまって無様な姿を見せる可能性も高い。

しかし、こうして文章にまとめているものを読ませれば…

私の考えが全て文章に表れているので、私が母の正体に気付いていることが公然の事実となって母にのしかかるでしょう。

そういう意味でも私の過去、そして今に至るまでの想いを「形」に残しておくことは大きな意義があることに感じられて仕方ない。

私は本来文章を書くのはあまり速いほうではないです。

細かな表現を気にしてしまって推敲に推敲を重ねた挙句、駄文が出来上がることも珍しくありません。

国語は苦手で言葉や表現もあまり知りません。

毒親問題でコミュ障の自分にできること

それなのに、毒親のこととなると驚くほどスムーズに書きたいことが浮かんでくるのです。

エピソードも次から次へと思い出し、こんなことがあったな、と忘れていた記憶まで蘇ってきます。

きっと、親への思いはマグマのように煮えたぎって噴出しそうな状態なのでしょう。

こうして文章を書くことは快さを感じます。

それはこれまでに蓄えてきた毒を吐き出し、私の人生を「形」として残すことで魂が洗われていっているような感じです。

頭の中も整理されてスッキリします。

今の私にとってこの作業は必要なことのようです。

嘘でもいいから安心したい 毒母への心の手紙

コメント