過干渉で跳べなくなった跳び箱

過干渉で跳べなくなった跳び箱

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健やかな成長には親の応援が必要

人は希望があれば何でもできる。困難なことに挑戦するには前向きな気持ちが必要です。特に幼い頃は新たなこととの出会いの連続で、この時期に自信を持って物事に取り組めるかどうかはその後の成長に大きな影響を与えるでしょう。

その自信を与えてくれる大きな存在が親です。普通の子供は生まれた時から母親に無私の愛を与えられてこの世に受け入れられたと感じます。そして、成長するのを両親から温かく見守られながら、失敗をしたときには優しく声をかけられたりして健やかに成長していきます。

こうした子供は「失敗したらどうしよう…」とは考えません。失敗しても何とかなるし、咎められるようなことではないとわかっているからです。彼らはむしろ、失敗を重ねることによって成功に結び付けます。その価値観は大人になってからも大事で、チャレンジすることによって道が切り開かれていきます。

では、子供がチャレンジするのを親が応援してくれなかったらどうなるでしょうか。今回はそのことを私の体験をもとにお話します。

活発な少年だった

私は小学校低学年の頃はスポーツがよくできました。足が速く、水泳も得意で、ドッジボールも強かったです。

体育の授業では跳び箱が得意で、小学二年生のときに8段目まで積んだ跳び箱を跳んでいました。私の記憶ではそれは自分の身長より高かったのではないかと思います。ですので8段は本当に難しく、クラスでも私の他は1人か2人くらいしか跳べませんでした。

8段は失敗することも多く、ジャンプ力が足りずに跳び箱にぶつかってしまったり、足が一番上の段に引っかかって転落してしまうこともありました。

床に落ちるとすごく痛かったですが、それを怖いと思うよりとにかく夢中になって跳び箱に挑戦していました。その頃の私は元気がよく、活発な少年でした。

あるとき、授業参観で体育の授業を親が見学する日がありました。その日は跳び箱の授業で、私の母も来ていました。私は母にいいところを見せようといつもより張り切って8段に挑戦しました。

ところがその日は調子が悪く、てっぺんから何度も転落しました。ケガはしませんでしたが、とても痛かったのを覚えています。それでも何度も挑戦しました。痛いのは気になりませんでした。結果、たまには成功しましたがそれでもいつもより多く失敗しました。

過干渉の親の心配は子供の行動を禁止しているのと同じ

そのとき私の母はどういう顔をしていたのか。母はあまり応援をしてくれている感じではありませんでした。心配ばかりし、ひたすら「あーっ危ないっ」「アーーッ」などと慌てうろたえ、私は跳び箱に集中できませんでした。

そして何か、後ろめたい気持ちを感じました。母は私のチャレンジを後押ししてくれませんでした。

このときだけでなく、母はいつだって前向きな気持ちで応援してくれませんでした。これは今思い出すとはっきりわかることです。何かしようとすると危ないと言って危険なことだけを強調します。成長に必要なことをさせようとしません。

例えば、刃物。カッターナイフや包丁が必要なときは安全な使い方を教えるのでなく、
危険だからなるべく触れないように言います。火が出る道具や裁縫の針などはさわらせようともしませんでした。

一見私の体を心配しているように見えますが、これは本質的には心配ではありません。私が怪我をすると大げさに騒ぎます。体の心配をしているのでなく、「大変だ大変だ」とただ騒いでいるだけのようなものです。

遊ぶときも私が危険なことをしないかという心配だけします。母は私の行動について心配性なのですが、それは行動する際のリスクを心配しているのではなく、私がリスクのある行動をしやしないか心配しているのでした。

言い換えれば、子供のチャレンジを無事に成功するように願って見守るのでなく、少しでも
危険性があることは最初からするなということです。これでは、子供からすると「母の私を心配させて迷惑をかけるな」と言われているように感じてしまいます。

決して子供は思いやられているようには感じません。私は母からこうして「心配」されることが不快でたまりませんでした。それは事実上禁止されるのと変わりないからです。

母の心配でがんじがらめになり、跳び箱が跳べなくなった

跳び箱の授業参観の日、私は家に帰ってから何を言われたか覚えていません。何も言われなかったのかも知れません。ただ、何かしてはいけないようなことをしていたのだという気持ちは残りました。そして、その日から跳び箱に対する意欲が消えていきました。そうしているうちに、跳び箱の授業はしばらく行われなくなりました。

それから二年後、私は小学四年生。私は母から色んなことを「心配」され、何をするにも母を気にするようになっていました。また、気が弱くなり、いじめられがちになっていました。そんな中、久しぶりに跳び箱の授業がありました。

私は跳び箱は得意だと思ってチャレンジしたのですが、何と6段すら跳べませんでした。何度やっても上手くいかない、というより、失敗して痛い思いをするのが怖くて思い切ってチャレンジできませんでした。

母の心配という名の鎖が、私の動きを鈍らせたのだと思います。他に中学のときには、50メートル走のタイムが年々落ちていくということも起こりました。成長期なのにです。

バスケットボールやサッカーでは何もできない。仲間と連携できないし、ボールもしっかりと蹴れない。何もかもができないことだらけになり、私は運動ができない人になりました。

これらのことは私の運動神経の問題もあるかもしれない。しかし、私は少なくとも一般的なイメージである、スポーツがさわやかなものだということは一切感じず、むしろ逆です。

私にとってスポーツは母から自由にチャレンジする意欲を奪われてきた日々の象徴のようなものであり、嫌悪感しかありません。一時期は活発だった少年をここまで変えてしまった母の過干渉にはただならぬ思いがあります。と同時に、小さな子供に対する親の影響力の強さは計り知れないものだと感じています。

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