メンタルをじわじわやられていく非リア充大学生の憂鬱(実体験)

メンタルをじわじわやられていく非リア充大学生の憂鬱(実体験)

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アダルトチルドレン化の始まり

大学進学で県外に出るため、私は一人暮らしをすることになりました。私にとって一人暮らしは自立の第一歩ではありませんでした。例えるならどこまでも伸びる鎖で親と繋がった私が距離だけ離れた場所に行くような感じでした。

親の管理を無視して生きてやろうという気持ちがゼロだったため、関係はそれまでと変わりません。むしろ目の前に親が居ない分、心の中で強く意識するようになり余計に親のコントロールは強まりました。

健全な人が私を見ると、毒親は目の前に居ないのだから好きなように生きればいいじゃないかと思うでしょう。しかし、その論理は私のようなアダルトチルドレンには通用しません。これまで全神経を母に向けて、母がどのような反応を示すかだけを気にして生きてきた私です。認められたくて努力することも、反発して悪ぶって生きることも、全て母の心を揺さぶるための駆け引きの行動でした。私がこの世で生きていくためには、母からの生存許可が必要だったのです。

もはや目の前に居ないからと言って、「母から独立してものを考える私」が居ませんでした。私は思春期の内に自我を獲得することに失敗したのです。

常に神経が張り詰めた状態に

よって、一人暮らしを始めてからは心の中の母に罰されないことを意識して生きるようになりました。母と同居していた頃は現実的に罰されないように生きればよかったのですが、一人になってからは心の中に住んでいる母に罰されないことが、更に言えば、許しを得ることが必要になりました。

これはとても厄介なことです。私の心が母の意志を再現し(内面化)、それに反することは全てできなくなるからです。それは24時間見張られているような感覚でした。

悪夢の始まり

私はまず、夜眠れなくなりました。どんなに眠くても、なぜか朝の七時くらいまで眠れませんでした。そして、朝方に寝て、夕方に起きる毎日でした。

布団の中で眠れない間、私はずっと人生の反省をしていました。私はなぜ高校時代勉強をしなかったのか、なぜ人とうまく話せないのか、なぜ毎日が楽しくないのか、なぜ学校に行けないのか、なぜ眠れないのか。

延々と自問自答をして、決まって朝方に結論が出て、成長したと感じて眠りました。しかし、実際には成長などしていなく、より深みにはまっているだけでした。

この不眠症は大学時代の間、ずっと続きました。仕方がないので、徹夜状態のまま学校へ行き、ふらふらになって帰る毎日でした。日に日に堕ちていく私はどうなっていくのだろう、と毎日が不安で仕方ありませんでした。毎日実のない反省、親不孝(私の思い込み)を許されるにはどうしたらいいか、だけを考えていました。

しかし、苦しかったのは私の心だけで、周囲から見るとただ怠惰なだけにしか見えなかったでしょう。きちんと大学に行かず、逃避するようにインターネットやゲームをしていましたから。でも、それがそのときの私の精一杯の行動でした。

母に夜眠れず、昼間寝てしまうことを相談すると、昼間寝ていることだけを取り上げて、「眠いから寝てるんでしょう。あんたのしたいことが寝たいってことなんでしょう。」と、無責任な、相当ポイントのずれた回答が返ってきました。母に相談しても私は救われない、と感じました。

どんどん退化してゆく

日に日に泥沼にはまっていく私でしたが、一年目、二年目の半ばくらいまでは外見上は何とかそれまでの私を維持することができました。しかし、常に誰かに監視されているような感覚がつきまとい、脈拍が常に上がりっぱなしでした。外に出ると他人が恐怖で周りが見渡せませんでした。

これらの感覚を理性で抑えていました。いくら頑張れども大人になっていくどころか、どんどん何もできなくなっていき幼児化していっているようでした。学業には集中できず、ポリシーを持った行動もできず、ファッションもダサくなっていきました。

それだけならまだしも人と会話、それ以前に人と向き合うこともできなくなり、頭がふわふわするので真っ直ぐ歩けなくなり、表情も崩れてきました。思考内容も段々幼稚化していきました。

絶望的な気持ちになる夢

私は、ある日夢を見ました。あまりに衝撃的な夢だったので書き留めておいたのですが、その紙を捨ててしまったので覚えている部分をかいつまんで述べます。

両親と朝、食卓で会話する夢です。

母は狂っていました。

母「イーッヒッヒッヒッヒ。オハヨウ○○君(私の名前)私はあなたのことを愛シテイルノヨォーーーー」

母の声はまるで機械の音のようだった。風景は白黒でなぜか歪んで見える。

父も母もまるでロボットのようにぎこちなく動き、声を発している。

2人ともどうしてしまったんだと私は感じた。

そのとき、父は話した。

父「無駄だ母さん。○○は既に気が狂ってしまったんだ。」

そこで気付いた。おかしいのは周りでなく、私だったんだ――

私はそこで目が覚めました。

両親がロボットになったのではなく、私自身の認識機能がおかしくなって両親の声や姿がおかしなものに感じてしまうという夢でした。この夢は、毒母の束縛でどんどん私がおかしくなっていったことを私に警告する夢だったと思います。

しかし、そんなことは今だから言えるわけで、当時の私は自分はとうとうおかしくなってしまったんだと落ち込みました。

最後の悪あがき

私は何とか状況を好転させようとホームページを作りました。

タイトルは「僕5才」

「僕は体は大人になったが心は5才のままだ。この心を今から成長させていきたいと思う。」

このような出だしから始まるサイトでした。

不思議なのはこの時期の私はアダルトチルドレンという言葉を知らず、それどころかメンタルヘルス全般に無頓着だったのです。それなのに自分の中に幼児のまま成長が止まっている私が居ることを直感的に察し、幼児化していく私に残った最後の理性で記録したのでした。

もう一つあります。タイトルは「再構築」

「壊れてしまったものはまた一から作り直さなければならない」

という出だしで、背景は何もいじらず真っ白、とにかく文章を残したいがために作ったサイトでした。まだブログが存在していなかった頃です。とにかく壊れてしまう前の私に戻りたいという思いでした。しかしその願いもむなしく、日々状況は悪化していきました。もはや私の変化を私自身がどうすることもできなかったのです。

母にしか対応できない人間へ

このように、私は自分の置かれた状況に相当の危機感を感じていました。しかし、どんなに手を尽くしてもそれらが報われることはありませんでした。

呪いがかかったように私の内面に存在する幼児の私に私の全てが奪われていく。積み上げてきたものが全て音を立てて崩れていきました。思春期に母から独立して獲得してきたものは失われていきました。それはアダルトチルドレンへと化していく過程でした。

毒親は私が小さな頃から、このように大人になってから作動する時限爆弾を仕掛けていたのです。それに抗うことはできませんでした。毒親の毒の力は何と強力なのかと思います。

そして人との関わりが無くなっていく中、皮肉にも母との関係だけは以前と変わりませんでした。母にとっては私がどのような人間であろうと特に関係ないのでしょう。子供の人格形成を考えない、無責任な親らしい考えです。子供をこんな不幸な状況に追い込む親は子供を育てる資格が無いと思います。

一体私は何のために生まれてきたのか。自殺は考えませんでしたが、死んだ方がマシなんじゃないかとは思いました。

この後、状況は更に悪くなっていきます。

妹に対する行い

当時、家には同居していた妹が居ました。妹も大学生になってたまたま近い大学だったので同居することになりました。それまでの妹との関係は仲が良くもなく悪くもなくという、普通の関係でした。妹が家に住むと決まったときは何も思わずに普通に受け入れました。

しかし、同居し始めるとそれまで家族として何の遠慮もいらない関わりをしていたのが、気を遣わなければならなくなってしまいます。共同生活をするなら当たり前のことですが、例えば風呂の準備や、妹が寝ている時間には物音を立てない、などのことを自分の問題として考えなければならなくなったのです。

それに加えて、私が昼夜逆転で大学に行けていないこと、一人暮らしを始めてから劣化し始めたことをどう繕えばいいのか。それは他人のことを考えるどころか自分のことすらままならない私には難しいことでした。

更に、毒親育ちらしく妹を出し抜いて親からの注目を集めてきた分、妹に対しては優越感を持っていました。その私が同居する妹に対してなぜこんなに遠慮し、己の実態を晒すことに恥ずかしさを感じないといけないのか。筋違いではありますが、日がたつにつれて段々うっとうしい思いが募りました。妹に監視され、笑われているような気がしていました。

このままやられっぱなしでいられるか。

私は被害妄想から、危険な考えを持ち始めていました。そして、妹に対して暴言を吐くようになりました。いきなり部屋のドアを開けて怒鳴り込んだり、ドアに物を投げつけて叫んだり。何を言っていたかというと、馬鹿にするなよ、とか、なめんなよ、とかそんなことだったと思います。

他には、妹が私の行動に合わせて物事を行っているように見えたので、それが気に入らず文句を言ったりもしました。数日に一回はそんなことをしていました。自分の人生が上手くいかないのを他人に当たり散らしていたのです。妹はどんなに恐怖だったかと思うと、今は申し訳なく思います。

でも信じられないことですが、当時私は被害者のつもりでした。被害妄想でいっぱいで、頭がおかしくなっていたのです。

他にも色々な嫌がらせをしました。部屋に自作の黒魔術風の札をはったり、妹が横を通るときに拍手で出迎えたり。完全に奇行に走る人になっていて、もはや兄としての姿はそこにはありませんでした。

病気のせいにしたかった

三年生くらいから、精神が日々悪化してきました。頭の中で考え事をしているのが自分で考えているのではなく、誰かから言葉を脳にふきこまれているのではないかと感じるようになりました。そして、意思で思考を止めることができなくなりました。

インターネットで調べると、統合失調症の症状に近かったので、私は病院に行きました。病院で統合失調症でないかと話すとあっさり薬を出してくれました。しかし、私が本当に統合失調症だったかというと多分違うと思います。

私は恐らく、毎日がうまくいかないのを病気のせいにしたかっただけでした。病気なのだから、現状の自分でも仕方が無いと思いたかっただけでした。

ちなみに、母に通院していることを話しても、何の興味も持たれませんでした。過去の心配性、過干渉、過保護ぶりは何だったのかと思ってしまいます。

誰も近寄らなくなった

大学も四年生の頃になると、他人から見ても異様だったと思います。思考で迷いの渦ができ、頭の中がぐるぐる回っていて、目の焦点が合わないのです。

歩いていてもまっすぐ歩けない、それもそのはず、下を見ようと顔を下に下げたら目玉は勝手に上を向いたり、急に目に力が入ったり、前を見るのが怖くなったり。それをかばおうと必死に意識を集中していたので余計に変だったと思います。

大学に行っても私は触れてはいけない人のようになっていて、誰にも声をかけられませんでした。結局大学では友達はできず、以来友達の居ない生活が十数年続き、今に至ります。

とことんズレている母

就職活動がうまくいかず、人生に悲観的な私に母がしてくれたこと。

それは何と、お祓いに連れて行ってくれました。もはや神頼みとは、とことん私の母は無能だったのです。

もちろん、何の効果もありませんでしたよ!

そんなことをするぐらいなら、自分の子育てを少しでも振り返ってほしいと思いました。

向かう方向を間違えてしまった

こうして私は大学を卒業するわけですが、人生の船出をするにはあまりに厳しい状態でした。準備を整えるどころか、迷いに迷って何もわからなくなってしまいました。私が困ったときにはお祓いに連れて行ってくれるような母ぐらいしか身近に人が居ず、道しるべになるようなものが何もありませんでした。幼い頃から母の顔色だけを伺い、それだけしか気にしなかった私には、本当は色んな人が発してくれていたであろうメッセージを受け取れなかったのでしょう。

早く母から離れないといけなかったのを、逆に結びつきを強くしてしまった。それが大学時代に私を取り巻く社会から孤立していった原因だと思います。

いつの日か、大学の同級生の女子と将来の夢について話していて、「俺は母の期待に応えないといけない(だから勝手なことはできない)。」と言ったときの彼女の悲しそうな顔は忘れることができません。

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