私がギャンブル依存症になっていき破滅するまでの過程(長文です)

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ギャンブル依存症

幼少期

依存症になる人、ならない人

私は主に過干渉の母によってアダルトチルドレン化したと思っていますが、他にも問題になることがあって、私は楽なほうに流れ、快楽に逆らえないという性格をしています。

物事に夢中になり、やめることができず、その行為に向かうことを止められなくなることを一般的に依存症(アディクション)といいます。

依存症と言われるものとして、アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症、性依存症、買い物依存症などさまざまなものがありますが、私はその内のギャンブル依存症です。

私の父親は厳しく、私は些細なことでよく怒られました。

また、教育熱心で小さい頃から熱心に勉強を教えられてきました。

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しかし、父はいわゆる堅物というわけでもなく、楽しいことが好きな人でもあります。

ただし楽しいことといっても、ゲーム類が好きで昔はファミコンソフトを自分で買ってきたり、パチンコも大好きな人でした。

趣深いものを嗜むのではなく、脳が興奮するものが好きなタイプです。

酒を飲まず、女性と遊ぶ気配もなく、真面目で厳しい父が子供も遊ぶようなゲームに熱中するのです。

子供の私からしたらこれだけは私も存分に楽しんでいいんだとばかりにのめりこんでいきました。

ただ、日本ではゲーム好きな大人などたくさん居ますし、パチンコも経験したことがある人のほうが多いくらいメジャーな娯楽だと思います。

親がパチンカーや競馬好きなら、子供はギャンブル狂いになるというのなら日本はギャンブル依存症の人であふれかえるでしょう。

ところが実際にはそうならないのは、まともな人も周りにはたくさんいて、その人たちと触れ合って正しい常識を学ぶからだと思います。

ギャンブルに取り付かれる小学生

しかし、親以外の世界と遮断され、常に過干渉で勉強を押し付けられる息苦しい環境で育てられたらどうなるでしょうか。

それを経験したのが幼少期の私でした。

我が家が他の家と比べても最高に優れた場所だと教えられ、我が家の外の世界に関心を持つことがなかった私。

そんな私でも息苦しさは感じていました。健全な刺激を感じることなく、感覚が麻痺したように過ぎていく毎日。そんな中許されたファミコンをする時間は至福の時でした。

もっと遊びたい!そう思う私は小学生のとき友人に駄菓子屋のパチンコゲームに連れられました。パチンコで当たるとメダルが出てきて1枚あたり10円のお菓子と交換できたのです。

私は即座にのめりこみ、毎日通いました。

お金が無くなれば、良くない方法で手に入れました。

とにかく、どんなことをしてもお金を手に入れて遊ぶことを優先したのです。

これを大人がしていたら、まさにギャンブル依存症の犯罪者予備軍です。

しかし、私はまだ子供だったからばれなければいいやと思い、ずるがしこくお金を手に入れては遊ぶのでした。

アディクションの泥沼にはまりこんでいく子供

しかし、そうして遊ぶのが楽しいと思って遊んでいましたが、必ずしも心は楽しんでいませんでした。

お金を浪費して、勝負に勝てずにイライラする。

それなのに止められない。

遊び終わった後のお金と時間を無駄にした感覚と、罪悪感はすごく大きいです。

毎日こんなことをしていて、自分はどうなっていくんだろうと本気で思いました。

帰り際に鉄塔から流れる夕焼け小焼けを切なく聞きながら、「お母さん、ごめんなさい。家に帰ってもどうか怒らずにあったかいご飯を食べさせて下さい。」と念じながら家に帰るのでした。

この時点でギャンブル依存症の素養抜群です。

こんな闇を抱えた小学生は、滅多に居ないのではないでしょうか。

子供をアディクションの世界に導く毒親

ではどこに問題はあったか、親は悪くなくて、私が悪いのか?それはNOです。

なぜなら、まともな観察眼を持つ親であれば子供が何をしているのかしっかりと見て、ストップをかけることができるはずだからです。

母の視点からしっかり観察すると金銭の動きや、間食のし具合などおかしいところだらけだったと思います。

それを見過ごすのは、監督責任を果たせていないということになります。

子供を信じていて疑わないから気付かないのだ、親は裏切られたのだという意見も考えられますが、それも違います。

子供は間違いを犯すもので、それをしっかり修正していくことが親の務めだからです。

子供を放置していてもいいというのなら、親はいりません。

第一、パチンコをするような父親が居て、過干渉で窮屈な思いを子供にさせ、逆に一番しつけなければならない部分に無頓着だったような品の無い家庭です。

これでどうやって子供がまともに育つというのでしょうか!

私が近所に住む人なら、小さい私を見て真剣に行く末を心配すると思います。

悪いことをしたときはしっかり叱りつつ、正しいことを教えて歪んだものの見方を直してあげること。これが大人の務めだと思います。

進行しだしたら止まらないギャンブル依存症の怖さ

その後、私はゲームセンター通い、パチンコ屋通いを経て破滅的な結末を辿ることになります。

過干渉精神的ネグレクトDMC(家庭内洗脳)、これらの合わせ技で私は見事なギャンブル依存症になってしまいました。

誰も止める人が居ないのだから子供は行き着くところまで暴走します。

ただし、表面上はいい子を装いながら、です。

親の期待を全身で受け止めながらも、親の目が届かないところで好き放題するのです。

親の隙をみつけることも上手くなっていきました。

私の場合、お金の余裕が多少家にあったのでずっと修正されることなく浪費癖は続きました。

もしかしたら親からしたら子供が気が済んで大人しくしておいてくれるのならそれでよかったのかもしれません。

とにかく、私の唯一の安らぎの場はそうして作られました。

思春期

自由にギャンブルができる環境

私立の中学校に入学した私は電車通学を始めました。

立地がけっこう都会だったので入学後からすぐにゲームセンター通いを始めました。

というより、小学生時代に通っていた塾と学校が近かったので小学生のときから行っていたゲームセンターに帰りに毎日行けるようになったのです。

私立の進学校というのは独特の社会で、教師がうるさく言わなくても大概の子は真面目に勉強します。

だから割と放任の色が強く、好き放題しようと思えば自由にできました。

髪を染めても、アクセサリーをつけてもあまり何も言われず、悪事を働かない限りは何でもできました。

私はその環境に甘え、自堕落な日々を過ごしました。

ただテストで赤点を取らないようにし、進級だけはできるように注意しました。

このような感じで中高一貫の六年間をすごしました。

 

この期間に行っていたギャンブルは、

・ゲームセンターのメダルゲーム

これはカジノと同じような遊びを現金に換えられないコインで楽しむようなものです。

コインが増えたからといって何にもならないのに夢中になっていました。

・自作のサイコロ賭博

周囲にもギャンブル好きの同級生はいたので、紙にルールを作ってサイコロの出た目で数千円のやり取りをするギャンブルをしていました。

見つかったら停学だったと思います。

・麻雀

麻雀をする同級生は数十人規模で居ました。

毎週末は麻雀大会です。

進学校はギャンブル好きが多いのでしょうか。

・パチスロ

これも同級生に連れられてはまりました。

最初は友人と一緒でしか行きませんでしたがそのうち一人で行くようになりました。

ビギナーズラックでなまじ最初に勝ち続けたものだからやめられなくなりました。

 

ご覧のように、私だけでなく同級生もけっこうギャンブルはしていました。

ただ、一番ギャンブル依存症的なはまり方をしていたのは私だったと思います。

ちなみに競馬も流行っていましたが、私は興味を持てませんでした。

今に至るまで競馬は本格的にやったことがありません。

そのときは楽しかった

この時期はゲーム、ギャンブル漬けでしたが依存症で苦しむということはなく、楽しい思い出ばかりです。

ですが、この自由過ぎたことが我慢をする力を持つことができず、二十代に入ってから苦しむことにつながったと思います。

毒親との関連ですが、この時期は親に精一杯反抗して勉強は一切せず、自我の芽のようなものは獲得することができました。

自我の獲得方法としてはいいものではないかも知れませんが、それが私なりの方法でした。

ですが、大枠ではやはり進学校→大学→就職というものは固定されていて、この部分についてはかなり制限されていました。

大学は一流大学を希望し、仕事は職種を限定し、一部の職業以外は意味が無いという価値観を作るのです。

私があこがれたものなどを親に話すと鼻で笑われました。

毒親は否定と強制で子供の人生を潰す
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それが学歴不問な職業であると、「そんなものは誰でもなれる」などと言われました。

自分で進学先や、仕事など将来を考えると親の思考と繋がりそうなのが嫌で、極力何も考えずに生きました。

今思うと何も考えないという形で反抗するのではなく、さっさと家を出るという形で自立を目指せばよかったのですが、社会への恐怖やその他恐怖症があり、そういう考えには至りませんでした。

就職のところで自分で考えないといけなくなり、つまずいたのもやはり二十代です。

二十代で苦しむ

ギャンブルという意味ではこの時期は借金もできず、比較的小額(それでも万単位)の移動だけだったので平和な時代でした。

大人になった時には既にギャンブル依存症の自分が熟成されていて、そのことに気付いたときにはもう引き返せませんでした。

体がギャンブルを求めるのです。

特に二十代に入り、FXを始めてからが本当の地獄です。

大学時代

着々と進行するギャンブル依存症

大学生になってもゲームセンターや、パチンコ屋通いは無くなりませんでした。

ということは、むしろ一人暮らしになって時間が自由になる分、より加速したのではないか?と思われるかもしれません。

ですが、結果的には行動をセーブすることになりました。

やめずに中途半端に続けたというのが正確なところです。

そこにはメンタルの問題があり、親元を離れて行動している分その責任は私自身にあると思いが芽生えてきたのです。

それまでは親の陰に隠れて遊んでいたので、精神的に自分の行動の責任をとっていませんでした。

それが、一人暮らしをする以上は100%自分の意思で遊びに行くことが確定するわけですから、そこで罪悪感との戦いが起こるのです。

朝からスロットなどしていていいのか?ゲーセンで浪費していていいのか?という罪悪感が襲ってくるようになったので、堂々と行うことができなくなり、しかし、やめるわけでもなく中途半端に流される日々でした。

罪悪感を感じ、良くないとわかっていてもやめられないのはギャンブル依存症の特徴です。

いっそのこと、ある期間だけ寝ても覚めてもギャンブルに集中し、気が済んだらスパッとやめるというほうが余程健全だと思います。

結局ダラダラとギャンブルにのめりこみ、それは大学卒業まで続きました。

一線を越えた行動

お金はどんどん減っていき、大学入学時には100万円程度あった貯金も使い果たしました。

それどころか、私には当時同居していた妹が居るのですが妹から毎月借金をし、お金ができたら返すということをするようになりました。

あるときは、妹が部屋に居ない間にタンスからお金を抜き取って遊びに行き、そのときはたまたま返す余裕があったので、妹に打ち明け、お金を渡しました。

自分が泥棒だという意識もなかったのです。

妹は怒り、親に連絡を入れ私はこっぴどく怒られました。

返せばいいだろ?とモラルが欠如していました。

また、返せなかった場合はどうなるのか、ということを考えていませんでした。

このあたりは実家にいたときに甘い考えで生きてきたツケが回ってきたのだと思います。

一度の行動が転落に繋がる

この頃の私は借金は身内からはするものの、外の金融機関や消費者金融からすることは考えませんでした。

借金に対するイメージがとても悪く、一度借りたら借金地獄に陥ると信じていたからです。

事実、学生時代に作ったクレジットカードには10万円のキャッシング枠がついていましたが、卒業時までこれには手をつけませんでした。

この価値観をずっと持ったままでいれば後に苦しむことは無かったのですが、社会人になって一度借金の味を知ったらもう止まりませんでした。

抵抗がある物事でも一度行ってしまえば慣れて怖くなくなるのです。

そもそもはパチンコ屋通いもそうでした。

中学生の時に朝からパチンコ屋の前に行列ができているのを軽蔑の目で見ていました。

自分が数年後にそこに通うことになるのも知らずに。

借金も同様で、一度してしまうと次から次にするようになりました。

独身時代

一般的パチンコスロットファンだった時期

私は大学卒業後に就職し、フルタイムの正社員になりました。

仕事は忙しかったですが、毎月一定の収入があるのでパチンコ、パチスロがし放題になり、そういう意味では充実していました。

大学生の時は親からの仕送りでギャンブルをし、負けてお金が無くなると妹から借りていましたから自業自得とは言え、とても肩身が狭い思いをしていたのです。

社会人になってからもギャンブルには勝てずお金は減っていく一方でしたが、会社勤めをしている間は借金するまでには至りませんでした。

いえ、正確に言うと借金グセはつかなかったものの、一度だけ借金をしたことがあります。

はじめての借金体験

給料日前に預金を使い果たしてしまったのに、パチスロがしたくなった日曜日のことでした。

私は定期預金で積み立てをしていたので、貯金は若干ありました。

ただ、定期預金で引き出せないので、その日の私が使えるお金はありませんでした。

そこで、いざとなったら定期預金で返済すればよいと思い、軽い気持ちで某消費者金融の無人契約機へ向かいました。

本当にからかい半分で、お金の使用目的も堂々と「遊びたいから」と答え、適当にやり取りしていたら審査に通り、何と50万円の融資枠がもらえたのです。

私は直後にATMで10万円ほど下ろし、それを数日で使い切りました。

遊ぶだけ遊んで、後には10万円の借金が残りました。

このとき、私は何かとてもいけないことをしたような気がしました。

返せなくなるとどうなるのだろう?、50万円借りて全部使うとどうなるのだろう?と、考えているうちに恐ろしくなってしまい、給料日と同時に全額返済をして、速攻で解約しました。

そういうこともありましたが、まだこの時期はギャンブル依存症と言うには健全な時期だったと思います。

仕事帰りや日曜にパチンコをするサラリーマンなどごまんといます。

給料の範囲内でパチンコ、パチスロをする分には誰にも迷惑をかけていないので問題ないとも言えます。

私はそのような時期を3年くらい過ごし、会社を退職しました。

問題が出てくるのはここからです。

無職期間中に閃いた甘い考え

退職直前の頃は超がつく過重労働で、私は逃げるようにして会社を辞めました。

もともと労働意欲が低く働かずに生きていけたらと思っていましたし、ニートが羨ましいとさえ思っていました。

こんな具合ですから失業期間中は職を探すポーズはとっていましたが、内心このまま無職のままでいたいと願っていました。

そんなときにふと思い立ちました。

「FXをマスターすれば働かなくても食っていけるんじゃないか?」

私はこの考えに全てを託し、すぐに実行に移しました。

しかし私には、勉強をしようという気持ちはありませんでした。

通貨価値が上がるか下がるかのギャンブルだと思い込んでいました。

口座を開設すると私はすぐに取引を始め、ものの10分で3万円の損失を出しました。

しかし、それでも反省はしませんでした。

完全なギャンブル脳になっていたので、勝負師の勘で当てるのが筋だと思っていたのです。

負けた分を取り戻そうと、どんどん取引額は増えていき、それに比例して負け額も大きくなっていきました。

そして、ついには退職前に密かに開設しておいたネットキャッシングの口座に手を出し、50万円の融資枠を使い切ってしまいました。

あれほど抵抗のあった借金も、いとも簡単にしてしまったのです。

そのときの三ヶ月間くらいでどのくらい負けたかは把握していませんが、100万円近いのではないかと思います。

FXはパチンコ、スロットに対して動くお金の大きさが比べ物になりません。

ゼロの数を増やしていくだけでいくらでもロットを多くすることができるのですから。

しかしそこには何の楽しさもなく、数字の上下だけで淡々とお金を取られていきます。

私は取引するたびに凄い勢いでお金が減っていくのを呆然と眺めていました。

初めて現れた兆候 自己中心的な振る舞い

私はネットキャッシングの借金を全額返済するために、妻(当時結婚前)のお金を使い込みました。

私はそのお金の在り処を問いただす妻に対し、「わかったよ!全部払えばいいんだろ!!」と逆切れしてしまいました。

そして母に、「彼女から貸した金今すぐ全部返せと脅されている。全部返して終わりにしたいから
50万円貸して」と泣きつきました。

自分の都合のためなら開き直り、一方では嘘までついてお金をせびる。

まさにこのとき私は本当のクズ野郎におちました。

私の親はさすが私を育てただけあって、同類なのでしょう。

連携プレイのようにスムーズに50万円を用意し、このお金でうるさい女を黙らせてしまえ!とばかりに私に渡しました。

そのお金を私はすぐに妻に送金しました。

内心は妻に対する怒りでいっぱいで、脅迫されてお金を要求されているような気持ちでした。

叩きつけるような気持ちでお金を返したのです。

こんな態度をとった当時の私は頭が狂っていたに違いありません。

それを叱るでもなく、そうだそうだとばかりに同調した親も普通ではないと思います。

ギャンブル依存症の入り口をくぐってしまった

このように、ギャンブルによって初めて金銭面以外の問題が現れました。

きっかけは金銭だったにせよ、大きく人格崩壊を起こして他人に迷惑をかけたのです。

その後も問題はどんどん深刻化し、私のギャンブルによって生活の大部分が破壊されるようになりました。

どこまでいけば止まるのかもわからず、ギャンブルをしている私自身がギャンブルに食い尽くされるようになっていきます。

私は自分のギャンブル依存症をコントロールできませんでした。

一時期は借金が無くなりましたが、すぐに今度は慢性的な借金癖を抱えることになります。

ここまでくると破滅はすぐです。

結婚をしてから破滅するまで

結婚をしてからも無責任な生活態度

私は約半年間の無職期間を経て就職し、今の妻と結婚しました。

結婚してからはFXはやめたものの、時間さえあればパチンコ屋に通っていました。

台選びもちゃんとせず適当に遊んでいたため、どんどん負けていきました。

そして就職はしたものの、すぐに退職してしまいました。

また職探しの期間に入るわけですが、妻とのトラブルが絶えず、妻が出て行ってしまい別居状態になりました。

この頃私は妻にパチンコをやめると約束したので、堂々とパチンコをすることができなくなっていました。

そう、約束は妻との関係を維持するために渋々したもので、守る気はなかったのです。

別居状態になったことによって私は職探しもろくにせず、毎日朝から晩までパチンコ屋に入り浸りました。

お金は元々無かったので、また退職前に契約しておいた消費者金融から借りてパチンコ屋に行きました。

もう、店の中に居る時間が本当の自分自身になれる時間になっていました。

昔より、店の中にいるときに流れる時間が速くなっていました。

我を忘れて没頭していたのです。

先ほど述べた事情で、パチンコ屋に行くことは隠し通して、追及されても嘘をついていました。

毎日パチンコをすることが最優先事項になったのです。

もちろん罪悪感はありました。

自分はこんなことをしていてはいけないと、思いはします。

しかし、そこでパチンコをやめることはできませんでした。

毎朝パチンコ屋へ出発する時間になると自問自答して行くのをやめようとするのですが、そこで自制心が働いたことは一度もありませんでした。

また、夜になって店を出て帰り、家に着いたときが最悪の気分でした。

後には何も残らないようなことを一日中していたのです。

時間だけ過ぎてゆくことに大して大きな喪失感を感じていました。

製造業派遣の職場へ

数ヶ月たって、私は借金を30万円くらい抱えた状態で製造業派遣の仕事を始めました。

身分が保障されている正社員がたくさん居る工場で働く自分が嫌で仕方ありませんでした。

休みの日に行くパチンコで心を紛らわし、再度FXにも手を出しました。

私には本当にFXの才能は無く、十万円単位で何度もお金を失いました。

かなり省略して書きますが、私は何度と無く借金を抱え、その度に実家の親に泣きついて
借金を立て替えてもらいました。

妻に話して数社から借りた借金を家のお金から返済してもらったこともあります。

一年間で失い、立て替えてもらったお金は200万円くらいはあると思います。

私はどんどん信用を失っていきました。

父はもはや脱力してあきれ、妻には厳しく改心を促されました。

しかし、私は常にその場しのぎで借金さえ無くなればそれでよく、立て替えてもらったそのときには次はどうやって遊ぼうかと考えていたのです。

私自身が苦しんで返済した訳ではないので、何も身に染みて感じることはありませんでした。

この頃の私の金銭感覚は千円でもあればパチンコ屋に行くことを考え、他の事にお金を使うのは無駄だという価値観になっていました。

そして、パチンコ屋では札しか使えないので千円未満のお金はお金じゃないと思っていました。

どんどん生活ぶりがセコく、しかしギャンブルで使う金額は大きくなってきました。

「脳汁」と表現されますが、ギャンブル依存症になると勝ち負けのことよりどれだけ脳内麻薬を
出すかにこだわるようになります。

まるでドラッグを使用するかのように、ギャンブルに快感を求めるのです。

この「脳汁」にこだわるようになると、負けても気持ちよかったらいいやという考えになります。

そうやって、大金を投入することに迷いが無くなります。

遊戯台メーカーもギャンブル依存症の人を刺激するような台を作って煽ってきます。

一度「脳汁」の虜にされたプレイヤーはパチンコから離れられなくなります。

破滅のとき

製造業派遣で働いて数年たったあるとき、私は正社員の仕事に就くことができました。

けじめをつけるという名目で親に対して強気に出て借金を肩代わりしてもらい、私は正社員として働き始めました。

しかし、数ヶ月もすると銀行のカードローンを契約して遊ぶようになっていました。

休みの日は必ずパチンコをし、平日はFXをするようになりました。

私はもう金銭感覚が麻痺してしまっていたのでしょう、複数社と契約し、借金はあっという間に100万円に到達してしまいました。

預金を下ろすようにATMから借金していたのです。100万円などあっという間でした。

私はこれではまずいと思い銀行のおまとめローンを契約し、借金を一本化しようとしました。

しかし、何と一本化するために貸し出された100万円を全てFXで使い果たしてしまいました

FXに使った理由ははっきりと覚えていませんが、もはや一本化しても大借金には違いないのだから、逆転にかけてみようと思ったのかも知れません。

でも本当のところは借金があろうが無かろうが、その時の自分はFXというバクチに出るような思考回路だったとも思います。

とにかく、これで借金額は200万円です。

もはや後戻りできないところまできてしまい、心の中は常に借金のことでいっぱいでした。

生活のことを考える余裕などありませんでした。

ここで立て直しを図って、最後に銀行の100万円の融資枠を得ることができましたがこれもFXで限度額いっぱいまで使ってしまい、全て失ってしまいました。

もはやヤケクソでした。

正気ではこのような行動はとれないでしょう。

総額で300万円の借金です。

借金額が100万円を超えてから300万円に到達するまでにたったの2、3ヶ月しかかかりませんでした。

加速度的にスピードが増したのです。

返すあてはありません。

いや、そもそも返すあてなど最初の1円を借りた時点で既にありませんでした。

どこかで止まることができるタイミングなどいくらでもあったろうに、最後まで止まることができませんでした。

重大な出来事が身に起こっているのに、現実感はありませんでした。

借金額が200万円を超えたころから、これは自分の身に起こっているのではなく、誰か他人の体験なんだと自分に言い聞かせていました。

寝て起きたら借金が無くなっているのではないかと本気で考えました。

しかし、起きた瞬間にやはり自分が借金しているのだと再確認し、絶望するのでした。

自分が変わらないと問題は解決しなかった

ギャンブル依存症による借金問題は金額の問題ではなく、お金に対する考え方の問題です。

1円だろうが、10円だろうがギャンブルに己の存在意義を見出してしまい、自制できなくなってしまった時点で行き着くところまで転げ落ちます。

借金問題を克服するには周りの人が立て替えるのは逆効果です。

依存症の本人が何度借金しても助けてもらえると思ってしまうからです。

私は借金問題が行き着くところまで行ってからお金の価値と少しずつ向き合うようになっていきました。

これまでに使ってきた数百万円のお金がいかに貴重なものであったかがわかってきました。

周囲の人がどんなに説教をしようが、行動を制限しようが、本人が考えて変わらないと意味がありません。

私は長い時間をかけてお金が第一という価値観を否定しました。

それは毒親からの脱出にも繋がることでした。

私はまだギャンブルから足を洗えていませんが、私を縛っているものから自由になって生きるチャンスを得られたことに感謝をし、これからの人生を歩んでいきたいと思っています。

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