外で何も見ずに歩くほうが難しい
皆さんは外を歩くときはどこを見て歩いていますか?
私はかなり周囲を気にするほうなので、視界に入る人はどういう人かしっかりチェックしています。
大体の年齢、性別、服装を把握しておいて気になることがあったりしたら目を向ける感じです。
私ほどでなくても、周囲をそんなに意識していない人でもずっと下を見て歩くことはできないので、前を見るときに周辺の情報は大体認識しているものではないでしょうか。
そのときに知人が居たら気付くに決まっています。
顔見知りの人が居た場合は少し離れた距離でもわかりますし、相手も私に気付くことが多いです。
ましてや家族を外で見かけた場合は一瞬で察知できるのですが、私の親は全く違うようなのです。
私の顔を忘れたのかというレベルで気付かない親
私は両親とは別居していますが、街では時々すれ違うことがあるんです。
それも人ごみの中から見つけ出すような感じではなく、向こうから歩いてくるような感じで。
当然私はすぐに気付き、まずい思いをします(できれば話をしたくないから)。
しかし、1メートルくらいまで接近しても親は何も気付かないのです。
(会ってしまったな、何とあいさつしよう)と私は思い、親の顔を見るのですが、親はどこを見ているのか私に反応する様子がありません。
よく見知った顔を前に、何も気付かないなどということがあるのかと私は思いました。
父とも母とも複数回こういうことがありました。
考えられる可能性としてわざと無視をしているということがあります。
これは私も結果的には声をかけずにやり過ごしているわけですから、親も同じことを思っている可能性があります。
しかし過去に私が一度声をかけたことがあったのですが、その時の反応がはっと気付いたように
私を認識した様子だったので、わざと気付かないふりをしているのではないと思います。
どういう事情でこうなるのか、私には全くわからないので真相を知りたいところです。
関心の無いものは目に入らない
考えてみれば私も人こそよく見て歩いていますが、建物や風景に対してはそれほどでもありません。
妻と一緒に歩いていても「新しい店ができてたね。」とか、「今の場所○○じゃなかった?」とか言われても何も頭に残っていないのです。
それは建物や風景に対しては積極的な好奇心が無いためにそうなっているのだと思われます。
つまり、いくら目の前にしていても関心が無ければ無いのと同じということです。
この意味で私の親は人に関心が無いのかも知れません。
そう考えると毒親が自分の幸せにしか興味が無いこととつながってきます。
邪推になってしまいますが、毒親というのは自分から人に働きかけたくないという思いが常態化しているために人に反応できなくなってしまったのではないかと思います。
目の前にしているのが我が子であってもです。
このような生活態度も毒親を毒親たらしめる要素の一つなのではないかと思ってしまいます。

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