急に謙虚に生きてもここぞとばかりに利用されるだけの毒親育ち

急に謙虚に生きてもここぞとばかりに利用されるだけの毒親育ち

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たまに付き合い方をリセットしたくなる

特に何かあったわけじゃないのだけど、職場で自分は何故かとても傲慢な振る舞いをしていたように感じる瞬間があります。そんなときはそれまでの自分の行いを反省して、気持ちを改めたくなります。そしてこれまでの無愛想な態度をやめて人に感謝の気持ちを示したり、いつもより積極的に人に話しかけたり、自己主張を控えめにしたりするのですが、大概裏目に出ます。

そのとき自分は何を期待していたか。それはこれまでの自分を卒業して、改めて他人と清らかな関係を作っていくことを望んでいました。謙虚に自分を仕切り直すから、新しい私を受け入れてほしいというわけです。私のコミュニケーションに難があることは薄々自分でもわかっていました。

しかし、これまでにいちゃもんをつけたこともあれば、泥臭く交渉したこともある。そのような私の側面を見てきた人にとっては、虫の良すぎるお願いなのかも知れません。私が勝手に仕切り直しを希望しているだけで、都合の良い反応は得られず、それどころか「隙あり」とばかりに横からチクッと突かれるようなことを言われたりします。

認識のしかたと気持ちの表現方法がおかしい

でもそう言われるというのは実際は私の自己認識と、言われたことの捉え方の問題でしょう。私の心の中はめまぐるしく動いていますが、傍目から見ると「いつもと様子が少し違うから気持ち悪いな」という風にしか感じないと思います。

それほどに、私の心で思っていることと、実際に表現されるものが異なっているのだと思います。私が心の中でぐちゃぐちゃ考えている分、実際の行動が鈍いので、それを見てイライラした人は私を放っておいてスムーズに物事を進めようとします。それを私は「私が謙虚に、真摯に行動するほど私は皆から利用される」と感じるのです。

私は真剣に自分を改めたつもりになっていますが、それは心持ちひとつでその場を操ることができるという誇大妄想であり、場の破壊行為に他なりません。ですから、この記事のタイトル「謙虚に生きてもここぞとばかりに利用される」も私の主観であり、事実に基づいてはいません。他人から見れば、まさに何がしたいのかわからない意味不明な奴です。

人に言いたいことを言わず、歪めた形で気持ちを表現するのは、私が幼少期から親に言いたいことを言えなかったからだと思います。私は本来人一倍細かく、自己主張が激しいほうです。しかし、恐怖のW毒親が私の上に君臨していたので私は黙らざるを得ませんでした。

それでもあふれ出る思いはあります。それを他人に悟られないように発散するやり方が、遠まわしに遠まわしを重ねた表現方法でした。絶対的な力の差がある毒親には決して私の気持ちを悟られるわけにはいかなかったのです。その結果が、「お前の正体がわからない」「お前は一体何をしたいんだ」などと他人から言われることでした。

大人になって見直し始めた

これでは生き辛くて仕方がないので、思い切って自分の思い(主に怒り)を隠さないようにしました。やってみると確かに気持ちは伝わりますが、色々人間関係的に問題が起こることがわかりました。

そこで、怒りの思いの中から気持ちの部分を除いた伝えたいことを事細かに説明するスタイルをとりました。これは相手を不愉快にさせることなく、言いたいことを伝えられ、私の問題も解消することができました。

でもまだ何か不十分です。そう、怒りを感じること自体が多すぎるのです。ことあるごとに私の要求を相手に伝えていては、人間的に問題があると捉えられるでしょう。やはり、普段から円滑なコミュニケーションで摩擦が起きないように努めたほうがいいと思い始めています。

このように私は、大人になってから人間関係の初歩でつまずき、今に至っています。気持ちをまっすぐに出すことができなかった幼少期が悔やまれます。

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