我慢をすると苦痛はずっと続く
自分の感情の処理が苦手で不満や怒りなどの気持ちを感じたときにもやもやし続けることはないでしょうか。
どうにか相手にわかってもらえるまではずっと煮え切らない感情が続く、こんなのは不幸せですよね。
さっさと切り替えて次のことに臨みたい。
しかし、いつまでもその相手に執着してしまったりして、心が落ち着いてくれないのです。
こういうときの自分の気持ちは実に宙ぶらりんな状態です。
どうにかして不快感を感じる源を無くしてしまいたい。
だけど自分から相手に働きかけて変えさせようとするのは何だか自分が傲慢なようで気が進まない。
しかも、人間関係の悪化が尾を引くことになる。
…こういう気持ちになります。
この状態を長く継続すると、段々マイナスの感情が強くなってきます。
日に日に相手に対する憎しみが増してくるのです。
しかし、言いたいことを言ってスッキリしたとしても、その後には思わぬ窮地に立たされることになるでしょう。
大よその人は大なり小なり我慢をして生きています。
我慢は辛いものです。
物事の解決を置いておいて、その場を何でもないように耐えるわけですから。
心の広い人ならいいですが、私のようなそれと真逆の人には大変なことでした。
能動的に苦痛の感覚に向かって突き進んでいくと…
では人間関係を維持し、人から嫌われたくないのならずっと我慢するしかないのか?
そうではない解決策があることを私は学びました。
それは、怒りや不満が過ぎ去るまでずっとそれらを感じ続けることです。
我慢をすることとの違いは、我慢が怒りや不満などの苦しみに対して受動的なのに対して、感じ続けることは能動的(積極的)な行動である点です。
苦しみを我慢しているときは、実は少し苦しみを誤魔化しながら耐えているのでいつまで経っても苦しみが無くならないのです。
時々は苦しみから目を逸らしながら、そして前を向くとやっぱり苦しみがあったという感じで。
しかし、能動的に苦しみの感覚の中に飛び込むことによって、持てる苦しみを余すことなく感じることができるのです。
そして、人は同じ感覚・気持ちをずっと感じ続けることはできません。
慣れて、麻痺していくからです。
どんなに悪臭でも鼻が次第ににおいを感じなくなっていくのと同じようなものです。
ですので、怒りや不満を感じ続けていると、ふと自分が感じていた感覚がわからなくなるときがきます。
そんなに時間はかからずに、私は数十分程度で次第に冷静になっていきました。
そして、怒りの気持ちは感じない代わりに、問題に対する冷静な対処法を手にしていたのです。
それは怒りで沸騰した頭脳では到底無理な対処法でした。
怒りや不満は負の感覚ではない
怒りや不満などの気持ちを感じたら、そう感じる自分に罪悪感を持たず、むしろ受け入れてとことん向き合うことが大事です。
そうしているうちにスーッと冷静になっている自分に気がつくはずです。
ただし、「怒ってしまいそうになったら10数えなさい」というのとは少し違います。
そんなにすぐに落ち着くことは無いからです。
怒りや不満を感じるのは当人にとっては正常な理屈に沿った感情の流れの一つです。
その感情を上手く制御し、そこから最適な行動を行うことは精神的な幸せを得ることに繋がります。
負の感情だからと怒りや不満から目を背けずに、それらを認めることが大切です。

ササッと感情を処理して次に進もう!

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