毒親

私は自分の性格の悪さに諦めを感じ、ついに開き直りました

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染み付いた悪い性格

私は自分で言うのもなんですが、性格が悪いです。

性格の悪さとは個性ではなく、人として劣っているものと認識しています。

私はそれによって人生の幅が広がらないことを経験してきました。

 

例えば人が困っているのに手を差し伸べなかったことによって、孤立しました。

排他的な人間関係を好むことで心の狭い人間になり、世界が閉ざされました。

人に対して優しくしなかったため、私もまた優しくされませんでした。

人の嫌がることをするため、嫌われました。

 

こうなる根本ですが、そもそも私の物事の受け止め方が偏っているのです。

普通の人にはなかなかわからない感覚だと思いますが、私は不幸だというところからスタートし、人を喜ばせること=自分が更に不幸になることだとインプットされているのです。

自分が幸せになるためには、まずは自分の不幸を他人にも味わわせなくてはなりません。

年齢とともに自覚が芽生え多少は改善しようとはしますが、まずはこれが私のような毒親育ちの基本的な精神構造です。

 

当然ですが性格が悪いと人からは好かれません。

自然と人気を集め、人が寄ってくる人は別世界の人間にしか見えません。

何せ、普通に過ごしていればいつの間にか嫌われているほどの性格の悪さです。

でも、私もこのように生まれたくて生まれてきたわけではないのです。

 

私もできることなら人に好かれる光の人になりたい―

そう思って必死にいい人になる努力をしたこともありました。

でも、付け焼刃の努力では人間性は変わりません。

私はボロボロになりながら変わることができない自分を呪いました。

いい人であることにしがみつくのも何かねぇ…

ずっと冴えないまま生きている私は思いました。

「もうできることはやった、このままでいいじゃん。」と

それは状況を変えることができない私が諦めるように行った選択でした。

一種の開き直りです。

 

でも開き直ったからといって、何でもしていい訳ではないことは肝に銘じました。

開き直るとは、嫌われたい訳ではないけど、一般的に模範とされる人を目指そうというのはやめにしようということです。

私らしさとは、どの道自分の外部にあるものではないと感じます。

ある日突然別人に生まれ変わることなど、あろうはずがありません。

思えば私は~~であるべきだ、~~でないといけないという義務感に囚われてきました。

そのような自分の外にある声は聞く意味が無いと今では思っています。

 

自分の性格の悪さは過去では恥ずべきものでしたが、今は特に隠したりする必要はないものと思っています。

せめてもの罪滅ぼしは、自分がつまらない人間だと自覚して調子に乗らないことです。

それで不利益をこうむることは多々あるとは思いますが、それがここまで生きてきたことに対する答えです。

誇りこそしませんが、堂々としていたいです。

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